熊野のお灯祭り

2010-01-28

“ 頼むで!頼むで!頼むで!” 毎年2月6日の日没時に新宮市で聞こえてくる音だ。

冬の夕闇が町に下りるころ、甘酒(甘く白い酒)の甘い香りが寒気に漂い、男児を含むあらゆる年代の2千人以上の男が通りに増えだし、お灯祭り (火祭り) へ向けて気分を高めてゆく。

1400年の歴史を持つこの祭りは、太古のエネルギーに満たされ、男児は男になり、男は男児になって、その魂は2千の松明の燃え上がる火によって浄められる。

男たちは、木製リボンの束を付けた木の松明にそれぞれの願いを書きつける。その松明は、千穂が峯、別名・権現山の麓から続く急峻な石段を中腹まで上がったところにある巨岩・ごとびき岩の真下の暗闇を、間もなく明るく照らすことになる。

高揚した男や男児が町の通りに増え、甘酒の消費が増えるにつれ、頼むで!頼むで!頼むで!という音は、押し寄せる古代の歩兵たちの雄叫びのようにどんどん大きくなってくる。

男たちは三々五々、三社詣り(阿須賀神社、速玉大社、妙心寺)へと町じゅうの通りを進むのだが、すれ違いざま互いの松明をゴツンと打ち交わし、多くは少し乱暴に打ったりして叫ぶのだ “頼むで!頼むで!” 。

白状するが、私が初めてお灯祭りに参加したとき、市内を歩く数少ない “ハクジン”(白い人)だったので、少しばかり恐々だった。

このガイジン頭が群衆の中で目立つので、盛り上がりすぎた上り子の中には格好の標的にする者もいるのでは、という思いが強く頭をよぎったのだ。実際、ガイジン日本人を問わず不注意な者たちは、松明を叩き合う連中の間にうかつにも自分の頭があるのに気づいたりするのだが、そんな時は、上の神倉に辿りつく前に、頭から血が少し垂れ落ちているという結末になる場合もある。

上り子のほとんどは平和的ではあるが、なにせこの祭りは、このような男性ホルモンに満ちているので、甘酒を少々飲みすぎてしまった子供や男たちの中には、松明を打ち合っているうちに祭りの本来の趣旨が朧になる者も出てくる。だから、上り子になる際は、振り回される松明に気を付けてさえいれば大丈夫と言うわけなのだ。

この雰囲気は、高揚した力強い男のエネルギーに満ち、上の神倉神社に近づくにつれ盛り上がりが高まる。市内のいくつもの通りを歩き終えると、上り子たちは下の鳥居(神社の門)に向かい、そこから仲間たちと一緒に急な石段を登り始める。やがて、2千人以上の上り子全員が神社の門内に囲い込まれ、門が開かれるのを待つ。

その雰囲気はとても陽気であり、松明に灯された炎、灰、煙で目を燻されながら、アルコールのよくまわった2千人がひしめき合う。少し怖がったりビクついたりする者がいることは間違いない。

火打ち石の火花が小さな炎になり、それが2千人の松明にしだいに灯されてゆく。門が開け放たれるやいなや、上り子たちは急な階段を猛然と駆け下り始める。下では救急隊と警官たちが待っている、万が一に備えてだ。

ありがたいことに、比較的危ないこの祭りでは、上り子たちは自分の危険度を十分に選ぶことができるようになっている。静かに過ごしたいなら、エネルギーを自分の中に向ける。もし男性エネルギーにどっぷり浸りたいときは、それも可能であり、そういう時は甘酒を多めに飲めばそちらの方面へ勢いをつけてくれる。

ほとんどの上り子は仲間連れになるので、当日の男性エネルギーの発散度は、自分の属する仲間しだいである。

私が初めて上ったときの仲間は、合気道、つまり武道仲間だった。彼らは日に二回も武道に励む屈強な若者たちであり、総じて大騒ぎなら何でも歓迎と言うふうであった。祭り当夜は実に面白かった。我々は神倉門の柵の最前部に陣取っていたのだが、そこは一番を目指す精力的な男たちがひしめくところなのだ。松明は燃え、打ち合いが始まり、額から血を流す者も出ている。幸いにも私はその渦から無傷で離れ、最前部の柵を開く “介錯” としてその時間を楽しんでいたが、柵が開くと同時に我々は無茶苦茶な速さで山を駆け下り始めた。

断っておくが、この八百年前にできた石段はとても急峻なので、大人の男が歩いて降りるのも怖いほどなのだ。ここを、2千人の男たちが、半ば酔っぱらい、ある者は泥酔して、狂ったように駈け下る - 救急と警官が下で待っているわけである。

後年、私が上ったときの仲間はもう少し穏やかだった。我々は群衆の後方へゆっくり移動して岩場に上って陣取り、修羅場を見下ろしていた。そこは、子供や年配者や寛いだ雰囲気を楽しむ者たちの占める場所だ。

上り子たちはすべて、白装束と呼ばれる昔からの白い衣装を着て、腰には太い藁縄を巻き、頭には白い頭巾をかぶる。これは火の粉から頭を守るためだ。乳幼児は大人の背にきつく結わえられて、初めての上り子を体験する。

日本では昔から死者は白装束を着せられるが、白は清浄の色とされてきた。これは別名シニショウゾク、つまり死装束とも呼ばれる。

聞くところによれば、上り子がこの死装束を着るのは、お灯祭りが、古いものの死と新らしいものの再生のシンボルだからである。

上り子たちは毎年、山麓のコノヨつまり現世を離れて石段を上り、権現山腹の神倉神社にあるアノヨ、つまり来世に入る。そして、山腹の炎の中から飛び出でてくるのは、ヨミガエリ、つまり蘇り、再生を象徴しているのだ。

豆腐、白菜、米など白い食べ物と、甘酒など白い飲み物だけが許され、男たちは少なくとも祭り当日の女性との交わりを断たねばならない。昔は、この禁欲期間が長かったが、近年は最低一日ということになっているそうだ。

もっと穏やかな仲間と上ったとき、ハミングしだしたことを覚えている。暫くすると、仲間たちも加わりはじめ、それはまるで2千人の上り子すべてを覆う音の波を作りだしたような感じだった。それは私の幻想だったのかもしれないが、群衆が静かになってきて、神社境内の中、特に我々の座っていた後ろのほうに、穏やかな聖気が漂いはじめたようであった。

祭りの最中はずっと、上り子たちの一体感のようなものを覚えた。そこには文化や国籍の壁はなく、差別もない。また、山、権現山と神倉におわす自然神と一体になるのも感じた。

あなたもこの祭りに参加してみれば、日本人になること、”本当の日本” の心に入りこむというのはどういうことなのかを、真に感じる貴重な機会になるだろう。
これは私の24年にわたる日本暮らしで有数の思いで深い体験であり、老若、強弱、さらには日本人か否かに関わらず、どなたにも強くお勧めしたいのである。

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