Category Archives: 文化

熊野速玉大社 スライド・ショウ

速玉大社、つまり大神社 “速玉” は、速玉神社とも言われ、市名の新宮、つまり新しい宮の名前の起源になっています。元宮は神倉で、そこでは毎年2月6日に新宮火祭り“お燈祭り”が行われます。熊野速玉大社は、神倉神社のところにある巨岩 “ごとびき岩” への信仰から始まりました。 このスライド・ショウでは、鮮やかな朱色の建物群が見る人に美しく迫りますが、この朱色は中国仏教の影響を受けているとも言われます。 速玉大社は三つの大神社、つまり熊野三山の一つです。他の二つは、本宮大社と那智大社です。これら三社とも、3日間にわたり熊野世界遺産を襲った巨大台風タラスの豪雨により、程度の差はあれ、被害をこうむっています。この熊野三山は、11世紀後半から上皇や貴族が熊野詣にやってきたところです。それを契機に、熊野は日本有数の巡礼地として栄光に包まれ始めました。上皇が何人も巡礼に訪れるようになると、熊野詣は一種の流行になって、武士や庶民、それに貧しいものまであらゆる階層の人たちがやってくるようになります。その往来の様子は “蟻の熊野詣” として有名になります。この熊野三山と、そこに至る熊野古道は、独特で重要な歴史・文化遺産です。熊野は2004年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その価値が世界に認められるようになったのです。

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Mikumano.net オオタケ・テツオとのインタビュー

この日本語でのインタビューで、オオタケ・テツオは、彼のウエブサイトに少し触れたうえで、日本の人たちに熊野地方の秘められた魅力を紹介していることを話しています。熱心な熊野ファンの多くが他の地方から来た人たちです。大竹さんは神奈川県からやってきて、熊野に魅せられ、今や熊野でも有数の熱烈な熊野讃美者であり伝道者になっています。8分間のこのインタビューをお楽しみください。要所に私が英語でコメントしていますが、インタビューはすべて日本語です。では、ご覧ください。

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赤倉での熊野番茶作り

熊野番茶作り もちろん、伝統的な手法による全有機製法ですよ。

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丸山千枚田(一千の稲田)

これは、紀和町・丸山地区の稲田畔作りの様子を映した短い映像です。農民たちが協力して畔塗をし、水田から水が漏れ出ないようにしています。地元の農民と多くのヴォランティアが協働しています。 このヴィデオはNPO 熊野ふるさと倶楽部の久保咲恵さんの作品です → http://kumanofurusat.jugem.jp

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新宮お灯祭り 第4部

火祭りシリーズの最終部になりました。 今までいかがでしたか? 興味深い場面がいくつかありましたが、大人と子供が一緒に参加している場面もありましたね。ここでは心を混乱させる言葉はあまりなく、もし注意深くご覧いただけば、このヴィデオで日本文化の精神をたくさん学んでいただけます。 毎年2月6日、2千人以上の男性が、大人も子供も一緒になって、何百段もの石段をごとびき岩まで上り、神倉神社の境内に押し込まれます。日本人写真家のふつう狙わない情景を私は映そうと試み、まあうまくいったと思っています。つまり、狙いは非日本人の目で捉えたこの火祭りの魅力と意味です。非日本人は日本人の良しとする日本文化の姿によく焦点を当てます。それは、近年のいくつかの地震、特に今回の東北大震災時に見られたような落ち着き、人間性、真の意味での思いやりと慈善、秩序などといった驚くべき事柄です。日本人の認める所のものは、世界をしばしば驚嘆させます。そうすると、世界のこの反響は鏡のような役割を果たし、日本人に自分たちの文化の深さと大切さを見せてくれるのです。10分間のこの映像を楽しまれ、どうぞご自由にコメントしてください。

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新宮の火祭り 第3部

この第3部は、新宮市内の西村記念館の近くから始まります。 カメラは上り子たちを追って駅前本通りから速玉大社へ、そして神倉神社の入口へと向かいます。そこからさらに、2千人以上の老若小児の上り子たちの集まる山上まで追います。そこで目にするのは、彼らが最初の火を受け取るにつれ、ごとびき岩の下が明るくなる光景です。

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新宮の火祭り 第1部

新宮の火祭りの前、参加する男たちはすべて、白い食べものと白い飲み物だけを飲食し白い装束に身を包みます。この出で立ちは、シロショウゾクあるいはシノショウゾクと呼ばれます。シノショウゾクとは、死者の着た衣装のことです。このヴィデオは装束を身に着ける男性を映しています。ふつう、荒縄を腰に巻きつけるのを誰かに手伝ってもらわねばなりません。今年(2011年)は、子供を含むあらゆる年代の男性2,200人が参加しました。都会からの参加者も多くいます。外国人の参加も歓迎されており、私はイスラエルの男性とシアトルからのアメリカ人にインタビューしています。上り子たちは装束を身に着け次第、三社詣りに出発します。これは市内の主な三つの神社にお詣りすることです。20年前までは酒がふるまわれたので、男たちは酔っぱらっていました。しかし、少し落ち着いた状態にするため、近年は、アルコールを含まない甘酒だけになっています。

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丸山千枚田 畔塗り(2011年4月17日)

丸山千枚田 畔塗り(2011年4月17日)

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熊野のお灯祭り

2010-01-28 “ 頼むで!頼むで!頼むで!” 毎年2月6日の日没時に新宮市で聞こえてくる音だ。 冬の夕闇が町に下りるころ、甘酒(甘く白い酒)の甘い香りが寒気に漂い、男児を含むあらゆる年代の2千人以上の男が通りに増えだし、お灯祭り (火祭り) へ向けて気分を高めてゆく。 1400年の歴史を持つこの祭りは、太古のエネルギーに満たされ、男児は男になり、男は男児になって、その魂は2千の松明の燃え上がる火によって浄められる。 男たちは、木製リボンの束を付けた木の松明にそれぞれの願いを書きつける。その松明は、千穂が峯、別名・権現山の麓から続く急峻な石段を中腹まで上がったところにある巨岩・ごとびき岩の真下の暗闇を、間もなく明るく照らすことになる。 高揚した男や男児が町の通りに増え、甘酒の消費が増えるにつれ、頼むで!頼むで!頼むで!という音は、押し寄せる古代の歩兵たちの雄叫びのようにどんどん大きくなってくる。 男たちは三々五々、三社詣り(阿須賀神社、速玉大社、妙心寺)へと町じゅうの通りを進むのだが、すれ違いざま互いの松明をゴツンと打ち交わし、多くは少し乱暴に打ったりして叫ぶのだ “頼むで!頼むで!” 。 白状するが、私が初めてお灯祭りに参加したとき、市内を歩く数少ない “ハクジン”(白い人)だったので、少しばかり恐々だった。 このガイジン頭が群衆の中で目立つので、盛り上がりすぎた上り子の中には格好の標的にする者もいるのでは、という思いが強く頭をよぎったのだ。実際、ガイジン日本人を問わず不注意な者たちは、松明を叩き合う連中の間にうかつにも自分の頭があるのに気づいたりするのだが、そんな時は、上の神倉に辿りつく前に、頭から血が少し垂れ落ちているという結末になる場合もある。 上り子のほとんどは平和的ではあるが、なにせこの祭りは、このような男性ホルモンに満ちているので、甘酒を少々飲みすぎてしまった子供や男たちの中には、松明を打ち合っているうちに祭りの本来の趣旨が朧になる者も出てくる。だから、上り子になる際は、振り回される松明に気を付けてさえいれば大丈夫と言うわけなのだ。 この雰囲気は、高揚した力強い男のエネルギーに満ち、上の神倉神社に近づくにつれ盛り上がりが高まる。市内のいくつもの通りを歩き終えると、上り子たちは下の鳥居(神社の門)に向かい、そこから仲間たちと一緒に急な石段を登り始める。やがて、2千人以上の上り子全員が神社の門内に囲い込まれ、門が開かれるのを待つ。 その雰囲気はとても陽気であり、松明に灯された炎、灰、煙で目を燻されながら、アルコールのよくまわった2千人がひしめき合う。少し怖がったりビクついたりする者がいることは間違いない。 火打ち石の火花が小さな炎になり、それが2千人の松明にしだいに灯されてゆく。門が開け放たれるやいなや、上り子たちは急な階段を猛然と駆け下り始める。下では救急隊と警官たちが待っている、万が一に備えてだ。 ありがたいことに、比較的危ないこの祭りでは、上り子たちは自分の危険度を十分に選ぶことができるようになっている。静かに過ごしたいなら、エネルギーを自分の中に向ける。もし男性エネルギーにどっぷり浸りたいときは、それも可能であり、そういう時は甘酒を多めに飲めばそちらの方面へ勢いをつけてくれる。 ほとんどの上り子は仲間連れになるので、当日の男性エネルギーの発散度は、自分の属する仲間しだいである。 私が初めて上ったときの仲間は、合気道、つまり武道仲間だった。彼らは日に二回も武道に励む屈強な若者たちであり、総じて大騒ぎなら何でも歓迎と言うふうであった。祭り当夜は実に面白かった。我々は神倉門の柵の最前部に陣取っていたのだが、そこは一番を目指す精力的な男たちがひしめくところなのだ。松明は燃え、打ち合いが始まり、額から血を流す者も出ている。幸いにも私はその渦から無傷で離れ、最前部の柵を開く “介錯” としてその時間を楽しんでいたが、柵が開くと同時に我々は無茶苦茶な速さで山を駆け下り始めた。 断っておくが、この八百年前にできた石段はとても急峻なので、大人の男が歩いて降りるのも怖いほどなのだ。ここを、2千人の男たちが、半ば酔っぱらい、ある者は泥酔して、狂ったように駈け下る - 救急と警官が下で待っているわけである。 後年、私が上ったときの仲間はもう少し穏やかだった。我々は群衆の後方へゆっくり移動して岩場に上って陣取り、修羅場を見下ろしていた。そこは、子供や年配者や寛いだ雰囲気を楽しむ者たちの占める場所だ。 上り子たちはすべて、白装束と呼ばれる昔からの白い衣装を着て、腰には太い藁縄を巻き、頭には白い頭巾をかぶる。これは火の粉から頭を守るためだ。乳幼児は大人の背にきつく結わえられて、初めての上り子を体験する。 日本では昔から死者は白装束を着せられるが、白は清浄の色とされてきた。これは別名シニショウゾク、つまり死装束とも呼ばれる。 聞くところによれば、上り子がこの死装束を着るのは、お灯祭りが、古いものの死と新らしいものの再生のシンボルだからである。 上り子たちは毎年、山麓のコノヨつまり現世を離れて石段を上り、権現山腹の神倉神社にあるアノヨ、つまり来世に入る。そして、山腹の炎の中から飛び出でてくるのは、ヨミガエリ、つまり蘇り、再生を象徴しているのだ。 豆腐、白菜、米など白い食べ物と、甘酒など白い飲み物だけが許され、男たちは少なくとも祭り当日の女性との交わりを断たねばならない。昔は、この禁欲期間が長かったが、近年は最低一日ということになっているそうだ。 もっと穏やかな仲間と上ったとき、ハミングしだしたことを覚えている。暫くすると、仲間たちも加わりはじめ、それはまるで2千人の上り子すべてを覆う音の波を作りだしたような感じだった。それは私の幻想だったのかもしれないが、群衆が静かになってきて、神社境内の中、特に我々の座っていた後ろのほうに、穏やかな聖気が漂いはじめたようであった。 祭りの最中はずっと、上り子たちの一体感のようなものを覚えた。そこには文化や国籍の壁はなく、差別もない。また、山、権現山と神倉におわす自然神と一体になるのも感じた。 あなたもこの祭りに参加してみれば、日本人になること、”本当の日本” の心に入りこむというのはどういうことなのかを、真に感じる貴重な機会になるだろう。 これは私の24年にわたる日本暮らしで有数の思いで深い体験であり、老若、強弱、さらには日本人か否かに関わらず、どなたにも強くお勧めしたいのである。

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