Category Archives: 熊野市

赤倉での熊野番茶作り

熊野番茶作り もちろん、伝統的な手法による全有機製法ですよ。

Share
Posted in ビデオ, 人々, 体験, 場所, 文化, 熊野市, 神川 | Leave a comment

赤倉でクライミング

(Akakura, Ikuse-town, Kumano-shi 2010.11.6) 赤倉の岩場でのクライミングです。地元民の話し言葉も聞こえます。ここは大自然の中で様々なスポーツを楽しむことができます。場所は、三重県熊野市の育生町です。

Share
Posted in ビデオ, 体験, 場所, 熊野市, 神川 | Leave a comment

花尻神社祭り

花尻神社祭り ( Hanajiri, Kamikawa-town, Kumano-shi 2010.11.3) 三重県熊野市神川町花尻 餅まきは、上棟式などの神事に際して、災いを払うために行われた散餅の儀が起源だが、一般に神社の祭りなどで撒かれることが多い。餅いがいに小銭なども撒かれることがある。地域住民の華やいだひと時が伝わってきます。 

Share
Posted in ビデオ, 体験, 場所, 熊野市, 神川 | Leave a comment

丹倉神社祭り

丹倉神社祭り (Akakura, Ikuse-town, Kumano-shi 2010.11.7)

Share
Posted in ビデオ, 場所, 熊野市, 神川 | Leave a comment

熊野 ー 本当の日本

熊野 ー 本当の日本 ー 2010-01-13 “本当の日本を探しているのなら、ここは見当違いだ。熊野へ行ってごらん!”。1987年夏のある暑い夜に神戸で聞いたこの言葉を、私は決して忘れない。 一見どうということのない一度の出会いと、この言葉が、私の人生を大きく変えるきっかけになったのだ。この偶然の出会いの後で私の決めた道が、その後22年にわたる私の生活を形づくり、この何気ない出会いの齎したものの中で私は今日まで暮らしているのである。 神戸で暮らしていたそれまでの一年半ほど、私は神戸暮らしをよく楽しんだし、日本は実に快適であった。実際、私は1985年に初めて関西にやってきたとき、我が家に戻ったような気がした。そして、日本に居ることがたいそう幸せだったのだ。 神戸は大都市であり、バブル経済が始まる前の楽観と繁栄に活気づいていた。日本の生産力と国際競争力は頂点に達しており、日本精神と日本の産業界は無敵に見えた。すべての人が楽観的であり、狂ったように消費し、百万円単位の会社パーティは珍しくなかった。十年後に襲う大地震は、まだ誰の頭にもない。 英語を教え、合気道に励み、太極拳と気功を少し教えるという日本での日々を、私は心から楽しんでいた。週末には、六甲の山々を歩き、小豆島に渡り、瀬戸内海のまだ行っていない海辺を訪ね歩く。大都市の刺激が必要になれば、阪急線やJR線に飛び乗って大阪へ向かう。そこで私は、紀伊国屋書店内を何時間もまわり、裏通りを歩き、心斎橋でお好み焼きやタコ焼きなどを楽しんだりするのだった。 そのころ私は、日本の経済的成功と活気の真っただ中で、関西の刺激と興奮を目いっぱい楽しんでいたのではあるが、何か足りないものを感じていた。 私は、いわゆる“本当の日本”を探し求めていた。その“日本”とは、初めて日本を訪れる外国人が東京成田空港に着く前、そして日本の現代的な都市生活の実態に出会う前に思い描いているものなのだ。 神戸の須磨海岸での偶然の出会いが、私の求めていた“本当の日本”を見つけさせてくれるような、あるいは日本での新鮮な体験をもたらすような、つまり、人生を変えるような出会いのひとつになろうとは、思いもよらなかった。 神戸は、素晴らしい大都会ではあるが、そういうものには欠けるのだ。 私が須磨海岸に着いたとき、バンド演奏はすでに始まっており、会場の背景には神戸市街のビル群が明るく輝いていた。聴衆はそれほど多くなく、確か50人ほどだった。しかし、誰もが音楽を楽しみ、レゲーのビートに乗って踊っていた。夜は暑く湿気があり、夜空の下で素敵な音楽を聴きながら野外にいるのは良かった。 合気道を習うアメリカ人とそのとき海岸で話したのはわずかな時間であり、彼の情報も大雑把なものではあったが、それは私の想像力を捉えて興味をそそるには十分すぎるくらいであった。 彼はアメリカの弁護士で、やはり“本当の日本”を探していたのだが、彼はほとんどそれに近いものを見つけたのだと言った。 彼が言うには、“本当の日本” の名残りがあるのは大昔の参詣地パワースポットで、それは和歌山県南端の熊野と呼ばれる地だ。 熊野と言う地は、私には初耳だった。私が日本に着いて間もないころ、和歌山と紀伊半島の手つかずの大自然について聞いたことがあった。私の友達の一人がそのころそこへ行ってきたので、彼女の印象を聞かせてくれたのだった。 しかし、当時の私にはまだ関わりがなかった。実際、当時の日本でも熊野と言う地名は一般に使われていない。私が知ったのは、後になってからであった。 私も合気道をやっていることをそのアメリカ人に言うと、彼は熱を込めて喋りだした - 合気道を習っているなら熊野に行き、引土道雄十段が指導する熊野世界道場を訪ねるべきだ、と。彼は続けて、熊野がどんなところであるかを話し、そして、熊野が“パワースポット”であり、自分の知る限り“本当の日本”に最も近いのだとも言った。 さらに、熊野古道と呼ばれる古代からの参詣道が山々に続いていて、本宮・速玉・那智の熊野大社に向かっていることも教えてくれた。 白くきれいな浜辺、温かい海流、サーフィン場、山々に佇む神社や寺、近くの滝や泳げる川について彼は語り、そして、熊野は大昔から今に至るまでどんな種類の来訪者をも受け入れる地なのだ、と言った。 肝心なことは、彼はその住民たちに魅せられていた。彼が言うには、熊野の人たちはどこか特別であり、心底から開けっぴろげで親切でもあるが、それは日本の都会ではほとんど失われているものなのだ。 須磨でのこの短い出会いの後、私は熊野と呼ばれるこの土地のことを何週間も考えた挙句、遂に、そこへ行ってみることにした。そこは、癒し力と豊かな歴史が溢れていると言われる霊的な聖地なのだ。 その頃、私は精神探究に浸っており、若いころだったので、中国のタオ、日本の禅仏教、インド起源の思想や修業、西洋の神秘思想にたいそう興味を持っていた。 その年代の多くの人がそうであるように、私も精神の問題については未熟であって、“である”と“ではない”というふうに断定することが好きだった。しかし、こう言ったことはすべて、熊野を知ってからは窓の外へ出ていったのだ。熊野での体験は、主義主張から離れた、私の名づける“日々の暮らしの中での霊的生活”であった。 日本に来る前に私は、日本で老僧の門下に入り禅の瞑想と実技を学んで、自己発見に努め、簡素が優雅であることなどを学ぼうなどと思っていた。 日本に居る多くの“外人”同様、その頃の私は、禅は日本精神そのものだと思っていたのだ。後になって私は、日本精神には禅よりずっと多くのものがあるのを知ることになる。   神戸での思いがけない出会いの結果、私はいま熊野で暮らし、それを味わっている。ここには、固有の精神世界がすでに仏教伝来以前にあって、“古代神道”の“やしろ”は山々、一枚岩、古木、滝、川であり、“本当の日本”の名残りがまだ見られるのだ。 私は新宮市役所で毎日楽しく働いており、時には、熊野への来訪者に説明する“語り部”をしている。私は自分の知っていることをできるだけ伝えたいと思っているが、それは、熊野の歴史であったり、産業社会後の日本が進む方向と可能性だったりする。 時には、新宮市内にある徐福の墓に旅人を案内し、この中国の道士が2千年以上前に稲作や製陶などの技術を日本にもたらしたことを話す。 那智の滝に案内しては、1700年ほど前にやってきたインドのバラモン僧が青岸渡寺や補陀落山寺を開いたことを話す。 それから、いろんな神社へ向かう。例えば、速玉神社や神倉神社、本宮では本宮大社と大斎原などである。大斎原はかつての大社の跡地で、平安から鎌倉時代にかけて上皇たちが訪ねたのはこちらのほうだ。 今も面白く思うのだが、もし自分があの夏の夜、神戸の海岸でのレゲー・パーティに行かなかったなら、今ごろ新宮市長秘書室の机でこのエッセイを書いてなんかいなかっただろうと。恐らくは、翌年カナダに戻り、まったく違った暮らしをしていたに違いない。 しかし今、私はこの新宮市に居る。日本有数の秘境である熊野に、今までの22年のほとんどを暮らしているのだ。 ところで、早晩ここは秘境でなくなるかもしれない。2004年、ユネスコは熊野を世界遺産に指定したのだ。熊野川は世界で唯一と見られる川の世界文化遺産になり、温泉(壺湯)もまた世界唯一の世界文化遺産になっている。 … Continue reading

Share
Posted in 場所, 新宮市, 熊野市, 記事 | Leave a comment

平尾井薬師

Hiraoi Yakushi Festival (Hiraoi, Kiho-town 2011.1.8) 平成23年1月8日 平尾井薬師(三重県紀宝町平尾井) 初薬師祭 餅ほりです。 <薬師堂の背後にある岩の所にある説明板より> 古来、熊野へは歴代天皇が御幸され、白河法皇が寛治4年(1090)以来12回にわた­り熊野三山二御幸された時、逢野細谷(相野谷)の地に、薬師堂の建立を勅願し許された­のが、熊野三仏平尾井薬師である。 本尊は、当方瑠璃光薬師如来で特に、首より上の病に霊験功徳あり。御堂は、幾度も炎上­し現建物は、昭和38年、平尾井区民有志、篤志家の寄進によるものである。 又、薬師堂上の巨岩に足跡の形が彫られ、仏足跡と言い、昔日、高貴な方の参詣の証とし­て刻まれたものであると言われる。

Share
Posted in 場所, 熊野市, 神川 | Leave a comment